だいたいおおよその人は空にパンを飛ばして写真を撮らないらしい。
写真家はどうして食べ物を空に飛ばすのか
── 今日、僕の中の勝手なテーマとしてひとつあるのが、ガンガン無粋なことも聞いちゃおう、っていうことなんですけど。作品をつくろうと考えたときに、なんで、「パン投げよう」って思うんですか?
大川直也
もともとパンを投げようと思ったのは「パンが飛んでるのを見たことがなかったから」なんですね…。
会場
ざわざわ
これは昨年末に行われたFINLANDSやsumikaのアートワークでおなじみ大川直也さんの写真展「HUMAN SHAPED LIGHTS」のトークショーで交わされたインタビューの一部から引用しました。
FINLANDSの塩入冬湖さんの3枚目のソロCD「惚けて」のジャケット写真、パンが跳ねたり降ってきたりしている大川さんの写真が使われています。
会場の雰囲気(私も居た)は「よく分かんないな」で満ちていたのですが、写真家は食べ物を飛ばす生き物です。
JR SKI SKIのポスターや、くるりのアーティスト写真でご存知の方も多いはず、奥山由之さんがやっぱり食パンを投げて撮っています。
PHOTOGRAPHS – YOSHIYUKI OKUYAMA | 奥山由之
写真家というのは偶然を捕まえる商売なのですが、当然パンが空から降ってくる確率は極めて低く、能動的に飛ばしているわけです。
決して食べ物を粗末にしようと考えているわけではなく、かといってパンを美味しそうに撮ろうという気もさらさらありません。
どうして食べ物を飛ばすのかと尋ねるのは、現代アートを観てその意味を問うくらいにナンセンスなのですが、おおよそ飛びそうだなと思って飛ばして撮るという行為をしているのです。
というのも私も15年も前に飛ばしていたから。
2018年の秋に大川さんの写真展に伺った時に、バナナが飛んでいる写真とレタスが飛んでいる写真があって、それらが色味も行為もそっくりだなと勝手な親近感を得ました。
そう、ニンジンも飛ぶんです。
写真の未来を考える
さて、コロナ禍の影響で写真の世界も混沌としています。外に出られないわけですから当然写真を撮る機会も激減しています。
誰も居なくなった都市を撮ったりするのは記録としての写真の役割なのでそれらは好きな人が続けてくれるとして、たとえば緊急事態宣言中の各都道府県から要請されている事業者の中には写真店があって、写真店が営業しなくなると例えばペーパー作ってる富士フイルムとかもはやお情けで写真事業を継続してくれている会社も事業やめちゃうだろうし、細々と製品を作っている用品メーカーなんかも体力が続きません。
ニコンなんかそもそもカメラ事業は怪しい経営状況だったのに直近のデジタル一眼のGfKのデータなんかみるともうこれ立ち直れるんでしょうか。
スマホで誰でも失敗せずに簡単に記録が残せるようになって、加工アプリやデジタル現像で撮影後の作業が重要になってきて、写真の世界は変わっていくのだけれども、私達が愛した写真家たちの写真が後進へと紡がれ未来へ続くことができることを望んでいます。
そんな中、大川直也さんは自粛期間中に展示ができなくなった写真家に向けてデジタル写真展を催すプラットフォーム「DIGITAL GALLERY.jp」をはじめました。
その想いに共感し、拙劣ながら私も過去の写真展をデジタルアーカイブとして公開いたしました。
今、写真家に何ができるのかを再考するきっかけになればと考えています。
できればスマホではなく、PCの大きな画面で御覧ください。